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千貫櫓と焔硝蔵

千貫櫓の歴史は、豊臣時代、さらにそれ以前この地にあった
本願寺(石山本願寺)の時代にまでさかのぼります。
この本願寺と織田信長との間で戦われた石山合戦の時、
この櫓を攻めあぐねていた信長軍が(銭千貫文も出してでも
奪いたい櫓だ)と語り合ったと江戸時代の戦記(武功雑記)
は伝えています。「千貫櫓」の名称はこれに由来すると
言われています。
天正8年(1580)本願寺を下した信長は、のちの大坂城本丸
にあたるところを重臣の丹羽長秀に預け、千貫櫓を一族の
織田信澄に預けました。2年後、本能寺の変が起こって信長が
明智光秀によって殺害されると、丹羽長秀は、光秀への加担が
疑われた織田信澄がこもる千貫櫓を攻撃しています。
このことは、秀吉築城以前の千貫櫓が、一軍の将の拠点と
なるだけの規模と重要性を持っていた事を示しています。

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これは火縄銃です

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「焔硝」とは硝石を精製して作った硝酸カリウムの事で、
これに硫黄と木灰とを混ぜ合わせると黒色火薬が出来上がります。
焔硝とはあくまで火薬の原料なのですが、江戸時代には完成した
火薬(合薬)をおさめた蔵の事を一般に焔硝蔵とよびました。

焔硝蔵は江戸城や二条城といった将軍の城をはじめ各地の大名
の城にもありましたが、江戸時代のまま残っているのはこの
一棟のみです。
壁、天井、床のすべてを石造りとした構造も他に全く
例がありません。

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by yuusuke-62 | 2016-04-28 08:39 | 街歩き