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大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣

城の正面を大手(追手)といい、その入り口を大手口、
設けられた門を大手門とよぶ、現存する大阪城の大手門は
寛永5年(1628)、徳川幕府による大阪城再築工事の際に
創設された。

大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_10124065.jpg


大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_10584587.jpg


大手門を入ると多聞櫓が見えます。大手口枡形の石垣の
上に建つ櫓で、大門の上をまたぐ渡櫓と、その右側に直角に
折れて接続する続櫓によって構成される。徳川幕府による
大阪城再築工事により、寛永5年(1628)に創建されたが
天明3年(1783)の落雷によって全焼し、1848年に再建
された。土墨や石垣上に築かれた長屋状の建物を一般に
多聞と呼ぶが、その名称は戦国時代の武将松永久秀が
大和国(奈良県)の多聞城でこうした形式の櫓を初めて
築いたことに由来すると言われている。
現存する多聞櫓の中でも最大規模で高さは約14,7メートル
建築総面積は約710平方メートルある。

渡櫓内部には70畳敷の部屋が6室もあって多数の兵や武器を
蓄える事が出来、枡形の内側には多くの窓があり、大門を
くぐる敵を真上から攻撃する櫓落しが設けられているなど、
高い防御能力を備えている

大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_103826.jpg


大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_1114086.jpg


大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_1122731.jpg

大手口枡形とは城の主要な出入り口に設けられた四角い区画の
事で、敵の進入を食い止める役割を果たした。
築城技術の進歩に伴って強固な石垣造りのものがあらわれ、
城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。
いずれも採石地は瀬戸内海の小豆島と推定されている。
現存する大阪城の遺構は豊臣時代のものではなく、元和6年
(1620)から約10年にわたった徳川幕府再築工事によるもので
石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いた。
この大きな巨石を運んだ資料はありませんが、推測に
よりますと写真のように思われます。

大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_10523057.jpg


大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣_e0260550_10533354.jpg


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by yuusuke-62 | 2016-04-11 10:53 | 街歩き