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中之島バラ園

五月に入り一気にバラの花が咲きました。
これは中之島バラ園です
この時は四月27日の写真で、
バラの花の写真は5月2日です

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ピース(フランス)

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ブルームーン(ドイツ)

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マリアカラス(フランス)

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チャールストン(フランス)

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ロブロイ(スコットランド)

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つるサラバンド(フランス)

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ふれ太鼓(日本)

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つるミニュエット(日本)


若い女性が舞台で踊っていました。あいにく望遠レンズ
がなくて、アップで撮れなかったのは残念でした

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# by yuusuke-62 | 2016-05-06 13:49 | 街歩き

大坂ぶらり歩き

五月連休になると若い時なら郊外に行きましたが、
年と共に近場でぶらぶらするようになりますね。
昨日夫婦で心斎橋界隈を歩いてきました。
昔はえびす橋の事を女性を「ナンパ」するひっかけ橋
という別名で有名でした。でも最近は見かけないですね。

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道頓堀川ではこんな観光もやってます

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近くには歌でも出て来る宗右衛門町です

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心斎橋の風景です

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大坂城公園内で夕焼けを撮影しようと思いましたが、
タイミングが合わなくて橋の上からの夕焼けです

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今僕が一番したい事それは一人で来ている外国人の
若い女性の写真を撮る事ですが、英語の勉強にもなるので、
横に女房がいなくて一人の時に挑戦してみようかな

これは奈良に行った時の写真です

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# by yuusuke-62 | 2016-05-01 06:34 | 街歩き

千貫櫓と焔硝蔵

千貫櫓の歴史は、豊臣時代、さらにそれ以前この地にあった
本願寺(石山本願寺)の時代にまでさかのぼります。
この本願寺と織田信長との間で戦われた石山合戦の時、
この櫓を攻めあぐねていた信長軍が(銭千貫文も出してでも
奪いたい櫓だ)と語り合ったと江戸時代の戦記(武功雑記)
は伝えています。「千貫櫓」の名称はこれに由来すると
言われています。
天正8年(1580)本願寺を下した信長は、のちの大坂城本丸
にあたるところを重臣の丹羽長秀に預け、千貫櫓を一族の
織田信澄に預けました。2年後、本能寺の変が起こって信長が
明智光秀によって殺害されると、丹羽長秀は、光秀への加担が
疑われた織田信澄がこもる千貫櫓を攻撃しています。
このことは、秀吉築城以前の千貫櫓が、一軍の将の拠点と
なるだけの規模と重要性を持っていた事を示しています。

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これは火縄銃です

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「焔硝」とは硝石を精製して作った硝酸カリウムの事で、
これに硫黄と木灰とを混ぜ合わせると黒色火薬が出来上がります。
焔硝とはあくまで火薬の原料なのですが、江戸時代には完成した
火薬(合薬)をおさめた蔵の事を一般に焔硝蔵とよびました。

焔硝蔵は江戸城や二条城といった将軍の城をはじめ各地の大名
の城にもありましたが、江戸時代のまま残っているのはこの
一棟のみです。
壁、天井、床のすべてを石造りとした構造も他に全く
例がありません。

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# by yuusuke-62 | 2016-04-28 08:39 | 街歩き

多聞櫓

寛永5年(1628)徳川幕府による大坂城再築工事
によって建造されましたが、天明3年(1783)に落雷
のため焼失。その後しばらく石垣だけの状態が続き、
幕末に行われた大坂城総修復工事によって嘉永元年
(1848)に再建されました。再建にあたって幕府は
大阪、堺、兵庫、西宮のおもだった町人に多額の
御用金を課しています。明治維新の大火や第二次大戦
の空襲にも奇跡的に焼失をまぬがれたこの多聞櫓は、
高さが14.7メートルもあります。
大手口桝形の石垣の上に建ち、大手門を越えて侵入
した敵を迎え撃つ役割を果たしました。桝形の北、
下に櫓門(大手口大門)を有する渡櫓と、その東に
つながる続櫓とからなっていますが、桝形の南にあった
市多聞と呼ばれる建物は現存していません。
渡櫓内部は4部屋からなっています。

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多聞櫓内に入りますと続櫓の武者走りが、9~12畳の部屋が6あり、
どの部屋も奥行が狭くて横に長い部屋となっています。
これらの部屋は、いざ戦いと言うときに兵士たちがつめた所で
あったようです。

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続櫓の突き当りを左に折れると渡櫓です。内部の南側には櫓門を
通る敵を攻撃する(やり落し)の装置を備える。兵士が多数駐屯
出来るようになっている。

カメラが悪いのか、撮影者が悪いのか、写りが悪くて
申し訳ないです。
暗い室内での撮影は難しいです。もっとカメラ撮影、
勉強しなくてはと思いますね。

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西の丸庭園から眺めた大坂城天守閣です

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# by yuusuke-62 | 2016-04-26 22:33 | 街歩き

ライトアップされた大阪城天守閣と藤の花

大阪城天守閣目当てに中国人が大勢来るようになって
行くのが嫌になる事も有りありますが、久しぶりに
ライトアップされた大阪城天守閣を見に行きました

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藤の花が咲いていました。カメラ撮影中に大きなハチが
飛んでいて怖かったです。一度襲われかけた事があったので
怖かったです。

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桜が散ってもバーベキューを目当てに大勢の人たちが来ていました

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内堀です。正面に見えてるのはクリスタルタワーです

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外堀です

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# by yuusuke-62 | 2016-04-24 16:22 | 徒然日記

大阪市中央公会堂

大阪市北区、大都市の真ん中、北に堂島川、土佐堀川が
流れる中之島の地に建つ、水と蒼と木々の緑に映える、
ネオルネッサンス様式の美しい外観は、いつの時代も
変わらず、多くの人々に愛され親しまれています。

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近くにバラ園とバラの小径があり、五月の初めから
咲き始め、見物客で賑わいます。

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これは栴檀木橋(せんだんのきはし)で江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷
が建てられ、船場と連絡のために土佐堀川には多くの橋が架けられていた。
栴檀の木橋もそうした橋の一つであった

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昭和初期の風景です

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大正時代の風景です

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明治時代の風景です

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# by yuusuke-62 | 2016-04-20 17:04 | 街歩き

中国人が多くて観光地に行けない

大阪城公園は中国人が多くて、行く気にならない。
京都に行こうか奈良に行こうか、桜は終わったし、

女房とどこへ行こうかと話し合っていたら万博記念公園に
行く事になりました。

地下鉄を二回乗り換えて、モノレールに乗り2駅の
万博記念公園駅で下車すると太陽の塔がありました。

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裏側から見るとこんな感じです

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公園の中に入って行くと森のトレインが見えました

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チューリップが身ごろを迎えていました

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さすがに此方には中国人は殆ど見かけなかったです
中国人の上品な観光客の人たちは、穴場の観光地に
行くそうですね。
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# by yuusuke-62 | 2016-04-17 10:40

花博記念公園鶴見緑地

1972年4月、鶴見緑地として開園。1990年4月1日
から9月30日まで開催された国際花と緑の博覧会
(花の万博、花博)のメイン会場になった。開催
終了後、記念施設の咲くやこの花館、いのちの塔、
陳列館ホール、水の館ホール、スポーツセンター、
風車を残し、都市公園として再整備された。

この時期なら風車にチューリップの写真が撮れると
思って行きましたが、時すでに遅しで、殆ど終わりかけて
いました。これからは早めに電話で確認すべだと思いましたね。

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大阪市内在住で65歳以上(僕は66才)は無料と言う事で咲くやこの花館に
行きました。大阪市以外からも無料と思って来られていました。

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これは一際目立つ、パッシフロラ・チカです

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こちらはテイキンザクラ(提琴桜)です

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これはメキシコサワギクです

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こちらはギョリュウバイです

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こちらは直径2~3cm程の大きさの実は巨砲そっくりで、
味もブドウに似ています。

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こちらはタイリンオモダカです。やっぱり花の撮影には
マクロレンズが欲しいです。

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河津桜は関西では見れないと思っていましたが、鶴見緑地公園と
京都市伏見区淀水路にも咲くそうです。

鶴見緑地内には大きな池もあり、のんびりと楽しめます。

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# by yuusuke-62 | 2016-04-15 17:33 |

法善寺横丁と浮世小路

千日前法善寺横丁とは、長さ80メートル、幅3メートルの
2本の路地が東西にあり、織田作之助の小説(夫婦善哉)
で有名な石畳の路地の両側には、小料理、バ―などが
ひしめき合って軒を並べる。道頓堀と並んで数々の歌にも
登場する、ミナミのシンボルとも言える、浪花情緒
あふれる一角である。

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かの有名な水掛け不動は両脇に、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦
童子を従えた三尊となっています。
法善寺では水掛け不動の名のとおり、お不動さんに水をかけるが、
元々水は供えるだけであったものを、ある女性が縋る(すがる)おもいで
水を掛けた。それが不動尊に水を掛けるきっかけになったようである。

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道頓堀の一角に、今井(うどん店)の隣に浮世小路あり、昭和初期を、
大大阪時代のモガ、モボ(モダンボーイ、モダンガール)が枠を
気取ったカフェ店内風景も見え、吉本興業の昔の劇場(花月亭)
の前を通ると出囃子が聞こえます。

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今井と言ううどん店は、ちょっとお高いですが美味しいですよ。
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# by yuusuke-62 | 2016-04-13 09:30

大手門~多聞櫓、大手口枡形の石垣

城の正面を大手(追手)といい、その入り口を大手口、
設けられた門を大手門とよぶ、現存する大阪城の大手門は
寛永5年(1628)、徳川幕府による大阪城再築工事の際に
創設された。

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大手門を入ると多聞櫓が見えます。大手口枡形の石垣の
上に建つ櫓で、大門の上をまたぐ渡櫓と、その右側に直角に
折れて接続する続櫓によって構成される。徳川幕府による
大阪城再築工事により、寛永5年(1628)に創建されたが
天明3年(1783)の落雷によって全焼し、1848年に再建
された。土墨や石垣上に築かれた長屋状の建物を一般に
多聞と呼ぶが、その名称は戦国時代の武将松永久秀が
大和国(奈良県)の多聞城でこうした形式の櫓を初めて
築いたことに由来すると言われている。
現存する多聞櫓の中でも最大規模で高さは約14,7メートル
建築総面積は約710平方メートルある。

渡櫓内部には70畳敷の部屋が6室もあって多数の兵や武器を
蓄える事が出来、枡形の内側には多くの窓があり、大門を
くぐる敵を真上から攻撃する櫓落しが設けられているなど、
高い防御能力を備えている

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大手口枡形とは城の主要な出入り口に設けられた四角い区画の
事で、敵の進入を食い止める役割を果たした。
築城技術の進歩に伴って強固な石垣造りのものがあらわれ、
城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。
いずれも採石地は瀬戸内海の小豆島と推定されている。
現存する大阪城の遺構は豊臣時代のものではなく、元和6年
(1620)から約10年にわたった徳川幕府再築工事によるもので
石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いた。
この大きな巨石を運んだ資料はありませんが、推測に
よりますと写真のように思われます。

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# by yuusuke-62 | 2016-04-11 10:53 | 街歩き